マイケル・ジャクソン追悼式の生中継を、MTVJAPAN.comで観ました。最後まで。
ストリーミングでの生放送なので、当然のことながら、同時通訳や日本語字幕は無しでした。
というわけで、登壇したブルック・シールズやマジック・ジョンソン、スモーキー・ロビンソン、マーティン・ルーサー・キング三世など著名人のスピーチの内容は、三分の一くらいしかリスニングできませんでした。英文科卒なのに恥ずかしいかぎりですが。
そこで、ふと思ったのが。
普段いかに自分が同時通訳や字幕に依存しまくっているか、ということ。
そして、「気持ち」というものは、「音楽」というものは、そんなことを介さなくても伝わるんだ、ということ。
国も、民族も、言語も、思想も、肌の色も、関係ないんだ、ということ。
『WE ARE THE WORLD』を描いたマイケルが、改めて教えてくれた気がしました。
正義を貫いた過去の偉人たちの多くは、その正義がストレートには受け入れられず、誹謗中傷の餌食になりました。
その死が一瞬にして地球を駆け巡り、甚大な衝撃を与えたマイケルに対しても、死後、誹謗中傷は鳴りを潜め、メディアは手のひらを返し生前の様々な業績を連日報道しています。
マイケルが“偉人”であるということを、図らずもメディアが証明しているわけです。
エンターテインメントの枠を飛び越えて、人類の歴史に深くその名を刻んだ彼こそ、真の“エンターテイナー”と言って良いのではないでしょうか。
この先、彼に匹敵するような、エンターテインメント界における地球規模の“偉人”は、果たして現れるのでしょうか。
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